配信者と倫理①:「浮気」で考える

・よくある例:ある女性VTuber(配信者でもよい)が配信中にミュートするのを忘れてしまい、彼女の同居人である彼氏の愛の言葉が放送にのってしまった。そのことによりネットは炎上し、彼女は数日間の配信自粛と、上記の件に関する謝罪を余儀なくされた。

 

・ネット民の意見を想像してみよう。
熱狂的なファンは彼女に「浮気」された、と感じるかもしれない。こちらは毎月何万円もスパチャで貢いでいるのに……どうしてそんなことをするんだ!怒り心頭である。
そもそも、彼女は「浮気」と思ってすらいない可能性が高い。しかし結果としてファンの主観上で「浮気」が成立してしまっている。厄介な状況である。
この混乱に乗じて、ネットを燃やしたい人たちはあることないこと書きまくる。そして炎上は大きくなってしまった。
自粛からの謝罪のあと、彼女は思った。「私は何も悪いことなんてしてないのに……どうして謝らないといけないの」。

 

・彼女は「浮気」の意図があっただろうか。
そもそも彼女の認識として、「ファンはファン」であり「恋人」ではない。分類されるカテゴリーが最初から異なっているのであって、ファンが幾ら求めたとしても恋人にはなれない。そのため今回も、ファンが一方的に「浮気」と認定してきた、という認識でいるようだ。
余談だが、「恋人」とは人間関係の中でもかなり特殊なカテゴリーであり、ある程度の質感を伴った体験がなければ認定できないものだろう。「ファン」は文字やお金のうえでしかやり取りしない存在であり、実際に通話などしない限り「恋人」のカテゴリーになるのはほぼ不可能である。不可能であるからこそ、「恋人同士である」という幻想を売ることができる。
彼女がいままでどのような活動をしてきたかにもよるが、この「恋人同士」幻想をぶち壊されたことに、ファンは怒っているのかもしれない。そのため問題は「彼女が、彼女のファンと恋人である、という幻想を育んでいたことに自覚的であったか」という形にできる。しかし答えはノーであろう。彼女は自分の活動が与える影響と副作用について無自覚であった。

 

・彼女の行為は、「浮気はいけない」=「恋人という幻想を壊してはいけない」という道徳に反した行為だったかもしれない(短期的な反道徳的行為)。
しかし長期的に見たときに、この炎上を期に、ファンとの関係や配信内容が改善したとするならば、変な言い方だが「あのとき浮気して良かった」にもなりうる。たとえば、彼氏の存在を完全に認め、彼氏とともにカップルチャンネルとしてやり直すとする。これは大きな賭けであるが、コンセプトとしては面白いのではないだろうか。
反道徳的行為は、既存の価値観をぶち壊し、新しい賭けに出るきっかけにもなる(場合によるが)。配信者がすべきことは機転を利かせピンチをチャンスに変えること。ファンがすべきことは、いたずらに怒りをぶつけるのではなく、配信者の新しい選択を受け入れ、賭けにのってみることではなかろうか。

 

・今回は面倒なので書かなかったが、一番悪いのは炎上を煽りまくる人間たちである。彼らの意図や倫理観については、また別途考えていく必要があるだろう。