★「VTuberという演劇のために(仮)」:夢月ロアの表現方法について

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・以下の文章は、夢月ロアと金魚坂めいろの騒動について述べた文章の一部である(最終更新:2020/11/06)。あまりにも述べるべき内容が多かったこと、また金魚坂めいろに対する記述に難しさがあったことから、頓挫していた。とりあえずほぼ完璧に書けている、夢月ロアに関する部分について公開しようと思う。

・文章全体を完成させ、公開するかどうかは、まだ未定である。この文章を進めるには、多くの時間と労力と精神力を使うから。
以下の文章にみられる弱点としては、まず具体例の不足が挙げられると思う。使用している資料は、今回の騒動に関するものだけであり、主張の裏付けとしての配信アーカイブの分析などが示されていない。
また、当時はまだ話題自体がタイムリーであり、ある程度当事者へ向けたメッセージという側面が強かったため、多少説教臭くなっている点も否めない。

・とはいえ、結論はいまも変わっていない。この騒動のキモは、本来交わり得ない2つの表現方法の対立と折衝であり、他の問題ではない。VTuber(に関わらず表現者全員)には、相手の表現を真摯に理解し、自分の表現を正しい言葉で表現できることが、厳しい基準で求められると、筆者は信じる。

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【3】夢月ロアとキャラクター(RP)

さて、夢月ロアの主張から見ていこう。彼女の主張は、10/21の23:00ごろにされた次の2ツイートで確認できる。

https://twitter.com/yuzuki_roa/status/1318912752413364224
https://twitter.com/yuzuki_roa/status/1318915034345451520

夢月ロアの主張の背後にあるロジックとはなんだろうか。それは、一言でいえば、VTuberの構造において重要な要素である「キャラクター」を守りたい、というものである。
夢月ロアにとって、キャラクターの持つ重要な要素として「魔界訛り」がある。なぜ「訛り」なのか。それは、公式サイトに書かれた「魔界からやってきた悪魔」という揺るがせにできない設定の、明確な根拠となる要素であるためだ。「お前は本当に魔界からやってきたのか」という素朴な疑いに対して、喋り方で答えを示すことができる。彼女の「訛り」は、公式設定の根拠であり、キャラクターを立てRPを守るために、絶対に欠くことのできない要素なのである。
このキャラクターが崩れなければ、キャラクターのギャップとして様々なことが説明可能になる。たとえば、夢月ロアのでたらめな食生活は「悪魔」的であり、わざわざ「中の人」(想像的パーソン)の特性を持ち出すまでもなく、悪魔というキャラクターで説明できる。また、彼女が他人に優しくするなどして「天使」的に思われれば、それはキャラクターのギャップとして説明ができる。このように、パーソナルな要素は、キャラクターを守る(RPする)ことによって、キャラクターやキャラクターのギャップとしてリスナーに受容される。

また、上記の①②の文章において夢月ロアが強調しているのは、このRP(キャラクター)がファンと共に培われた、としている点である。
VTuberはリスナーとの相互作用(承認)が本質的にあり、それがなければVTuberとは言えない。たとえば、月ノ美兎は初期の配信で、自らの画像を消してゲームを取ったことについて「これがバーチャルYouTuberなんだよなあ……」と呟いた。形式的には、モーションキャプチャ以前に画像が映っていない時点でVTuberとは言いがたい。しかし、月ノ美兎は自らの状況を先の言葉で無理やり言い換えることで、リスナーに「これがバーチャルYouTuberなのか……」と承認させたのである。このように、たとえ形式的にVTuberとみなされなくとも、リスナーがそう認めれば、VTuberであると言える。夢月ロアは以上のことを、感覚的によく理解しているのだろう。
また、VTuberがひとつの演劇であるからには、役柄や物語設定などが観客(リスナー)と共有されていなければ、演劇として成り立たない。たとえば、イギリスロマン主義の大家、コールリッジは「不信の宙づり」という言葉を用いて、小説の読者や演劇の観客は、そこに描かれる設定をいったん真実として受け入れる必要があることを説いた。VTuberのリスナーにおいても、「中の人について詮索することは野暮だ」という言葉などに代表されるように、あくまでキャラクターのレベルにとどまって鑑賞し、中の人=想像的パーソンを考慮したり暴き立てるべきではない、とする考え方が(リスナー全員ではないにしろ)現在も続いている。こうしたリスナーの協力があってこそ、VTuberという演劇は成立する。夢月ロアは以上のことを考え、上記の発言に及んだのだろう。
まとめると、夢月ロアの「訛り」はリスナーによって承認されることで、公式キャラクター設定の根拠として機能していた。そして夢月ロアは、特にリスナーとの関係性において、そのことを誇りに思っていたかもしれない。彼女の「訛り」は、リスナーとともに作り上げてきた「夢月ロアという演劇」を、代表するものなのである。

夢月ロアには、上記で述べたように、(1)キャラクターの根拠+(2)リスナーとの関係性の証明という点で、「訛り」にこだわる理由があった。
しかし、金魚坂めいろには、公式設定から考えて、「訛り」がある必然性がない。彼女の公式設定には、特定の地域への言及がないだけでなく、金魚坂めいろの姿は普通の人間であり、特定の地域の要素は一切ない。そのため、金魚坂めいろの「訛り」は中の人=想像的パーソンの性質として説明するのが自然である。彼女の「訛り」と彼女の公式設定には、必然的な関係がない。
ここまでであれば、夢月ロアが金魚坂めいろの表現に口を出す必要はなかった。しかし、金魚坂めいろの用いた方言は、津軽弁とかではなく、夢月ロアとほぼ同じ方言であった。これは、夢月ロアからすれば、自分が誇りとしてきた表現である「訛り」を取られたように感じたかもしれない。金魚坂めいろが「魔界訛り」を使うことは、夢月ロアのキャラクター設定の根拠を破壊するだけでなく、夢月ロアとファンの相互作用によって培われてきた関係性をも破壊するものであり得た。つまり、夢月ロアというコンテンツを成立させる重要な靭帯を断たれたに等しい。
以上の論理によって、夢月ロアは金魚坂めいろに対して、抗議を申し立てたのであった。

(*上記の論理を踏まえれば、夢月ロア側から運営を通じ、金魚坂めいろに対して「九州のどの方面出身か」を明言し、九州発のライバーとして活動してほしい、という提案がなされた、という噂がある理由もわかる(鳴神裁の1回目の動画を参照)。夢月ロアは、キャラクター設定とその根拠の一貫性に強く拘っていた。しかし、上記の提案は金魚坂めいろがどのような表現をしたいのか、という関心が抜け落ちており、全く現実的でない(夢月ロアの論理を押し付けたものに過ぎない)。後述するが、自分がどのような負担をするか、という明言がなければ、交渉にすらならない。夢月ロアは、自分がどのように変わる準備があるか(そこに覚悟があるか)、明言すべきであった。)

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【3.5】補足

(1)なぜ夢月ロアは、方言の全面的禁止を言い渡すのか

これには現実的な理由が考えられる。
仮に、方言のコンセンサスを、厳密に定義付けるとする。しかし結果的には、守ることが非常に難しいルールの束ができるだけである。
次のようなルールを記述できる。

▼方言aは次のようなルールによって標準語・他の方言と区別される。
(1)「**という語が登場した場合、◎◎に変換する」
……
(38)「▽▽という文脈では、◇◇という表現にする」
以上、(1)~(38)の規則いずれかに違反した場合、アーカイブを削除すること。

このルールの束をすべて遵守することは非常に難しく、非現実的である。そのため、夢月ロアは話し方そのものをやめてもらうよう進言したのだろう(その提案もまた、非現実的であるのだが)。
しかし、以上の夢月ロアの論理は無視され、単に高圧的であるという印象だけが残った。


(2)なぜ夢月ロアは、運営を通さずに話をつけようとするのか

これは推測(つまり筆者の妄想)に過ぎないが、夢月ロアは運営も金魚坂めいろも信用していなかったから、ではないだろうか。
運営を信用していれば、3者での話し合いもスムーズに行われたに違いない。これも筆者の憶測でしかないが、運営は夢月ロアの(上で素描したような)論理を理解して行動したのではなく、(量的な)功利的判断をしたために、夢月ロアの信頼を失ったのではないかと思われる(後述)。また、運営が金魚坂めいろに伝えた言葉(たとえば「方言はパクリ」などの文言)に間違いや誤解があると、夢月ロアは考えていたのではないだろうか(伝言ゲームの失敗)。
また、金魚坂めいろに関しても、自分の誇りが傷つけられたこともあってか、必要以上に不信を抱いている。たとえば、金魚坂めいろは①で述べられているように、夢月ロアの主張をふまえ、標準語で配信することを試みたが、それができなかった。しかし、夢月ロアはそれすらも信用できなかった。彼女は金魚坂めいろのアイデンティティを疑い続けていた。そのため、自分の耳で事実を確認するために、直接会話をすることをしきりに求めていたのである。
しかし、その試みは物理的パーソンについて知ることが難しいために、挫折が決定付けられている(いくら金魚坂めいろと直接話したところで、金魚坂めいろのアイデンティティを証明することなどできない)。むしろ、夢月ロアはその不可能性に面して諦めたかったのかもしれない。金魚坂めいろがどういう人物か知ったうえで、諦めや覚悟を決めたかったのかもしれない。

しかし、そうした望みはすでに断たれた。運営が金魚坂めいろに対して、ルールにのっとった処罰を行ったためである。後述するが、この運営の行為により、2人が直接言葉を交わす機会(交渉、諦め、謝罪、赦し等)すら奪われてしまった。これは結果的に、にじさんじ内を(一部であるにせよ)2つの陣営に割ったまま、運営を続けていくことを意味する。

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【4】夢月ロアのすべきだったこと

(A)夢月ロアの客観的な立場

夢月ロアの謝罪ツイート(①②)には、パワハラを糾弾するリプライが相次いだ。筆者はこのリプライ欄を参考にしながらこの文章を書いたが、ハッキリ言ってキツかった(精神が狂うかと思った)。様々な辛さがあったものの、「自分の正しさは揺るぎない」という信念のもと、「間違い」の烙印を押された人物に対してはボコボコにして、憂さ晴らしをして良い、という悪意が丸見えであるのが一番つらかった。あの謝罪ツイートに付いたリプライは、失敗学・紛争解決的に見て、そのほとんどに価値がない。なぜか。

まずこうしたリプライは、発言に対する感じかたは、人によって大きく異なるという事実を無視している。たとえば筆者は、個人的には、夢月ロアの発言が「高圧的」とは思わなかった。それは、筆者が日頃から「人間には本質的に上下関係などなくすべて対等」と思っている異常者だからでもあるが、この記事で述べている論理を克明に想像している(夢月ロア・金魚坂めいろの正義を仮想的に理解している)からでもあるだろう。その反面、当然ながら、夢月ロアの発言を高圧的と思う人もいる。この発言をどう解釈するかは、人による。
またこうしたリプライは、当事者の発言・感情が一番重要であり、まわりの人間が何を言ってもしょうがない、ということを無視している。結局、リプライを送った人々の個人的な感じ方やトラウマは、ハッキリ言ってどうでも良い。大事なのは、夢月ロアと金魚坂めいろの感情だろう。一部の心ない人々の自己顕示欲(歪んだ正義感)に、2人の感情はズタズタにされている。あくまで重要なのは、当事者の感情に寄り添うことである。「これは圧がある。怖い。パワハラだ。私はそう感じた」というリプライは、小さい正義をふりかざして、2人を傷付けていることに気付いてない。
もうひとつ言うとすれば、夢月ロアを叩きまくり、あたかも金魚坂めいろの代弁をしているかのような態度は、暴力的である。なぜなら、金魚坂めいろは「金魚坂めいろ」として発言することをすでに奪われており、そうしたリプライをやめさせることもできないからである。

さて、夢月ロアが、金魚坂めいろに比べて力を持っていたことは、リスナーの自己顕示欲にまみれたリプライを参照せずとも、客観的にみてわかる。たとえば、①在籍期間が圧倒的に長い、②実績がある:総再生数・スパチャ額・メンバーの人数。夢月ロアは、金魚坂めいろとのやり取りのなかで、まさに①②をふりかざしてしまっている(「1年半」「ファン」などの言葉)。これだけで充分である。
そして、夢月ロアが自らの客観的な立場について全く無頓着であったことも、メッセージの内容からわかる。たしかに、【3】で述べたように、ファンとの関係性は重要である。しかし、その関係性は力を持つのであって、他人に向けて良いものではない。


(B)夢月ロアの交渉力

さて、夢月ロアが送ったメッセージからわかるように、夢月ロアは金魚坂めいろと何らかの対話を望んでいた。しかし、直接の対話は実現することはなかった。この対話が実現しなかった理由に関して、運営にも金魚坂めいろにも原因を求めることはできるが(後述)、ここでは夢月ロアの交渉力について述べてみたい。

この騒動での言動を見る限り、夢月ロアの交渉能力は高いとは言えない。

(1)まず、夢月ロアは、自身の表現内容を変えうるのに、その可能性を示していない。つまり、夢月ロアが譲歩する可能性が示されていない。たとえ仮想的なものであれ、落としどころが示されていない提案に乗る人間はいない。
(2)ライバー同士の直接的な連絡はしない、という運営とのルールを破っている。これは運営への不信が表面化した行動ではあるが、こうしたルール違反をすることにより、交渉を有利に進めることはできなくなる。
(3)意図がみえない衝動的なメッセージを複数回送ってしまっている。また、全体的に感情がのったメッセージになってしまっている。交渉において、本当の感情を見せることはマイナスに働く。彼女の立場(先輩であることなど)からすれば、かなり下手(したて)から、注意深くアプローチする必要があった。
(4)これは筆者の憶測でもあるが、夢月ロアは「話せばわかる」という楽観的な見方をしていた可能性も高い。自分の立場を真摯に説明すれば、わかってもらえるという見方である。しかし、かなり甘い見通しであったと言わざるを得ない。

以上の(1)~(4)のために、夢月ロアは交渉の場を作ることに失敗したと言えそうである。しかし仮に、上記の問題が解決され、交渉の場に進んだとしても、交渉は決裂していた可能性が高い。上記の謝罪ツイートを見る限り、夢月ロアは問題の本質を理解できていない(そのため批判のリプライが相次いだのだが、そのリプライも的を外しているので、ただのネットリンチになっている)。それは、「金魚坂めいろがどのような表現をしたかったか」という観点である。
あくまでも今回の騒動で重要だったのは、金魚坂めいろがどのような目標を持ち、どのような表現を行いたいと思っているか、であり、方言はその表面的なアイテム(道具)のひとつに過ぎない。これは夢月ロアの立場ならば、すぐにわかることだろう。
そもそも夢月ロアが運営に伝えた正確な言葉は確認できないが、少なくとも運営は、この問題を「方言の使用」に関してのことであると認識している。このことにまず、自分(夢月ロア)がやってほしいことはそれではない、とハッキリと反対するべきだっただろう。
方言がパクリであるか否か、方言がどの地方のものであるか、は偽の問題である、と筆者は考える。繰り返しになるが、この騒動で考えるべきは、夢月ロアと金魚坂めいろが、それぞれどのような目的・論理をもち、何を表現したかったのか、である。その問題のレベルでとどまっていれば、どれかの要素を調整することで交渉がまとまっていたかもしれない。交渉が決裂したとしても、お互いの表現について深く理解したあとであれば、これほど破壊的な終わりになることもなかったのではないか。
夢月ロアは、自分の表現について確固たる論理を持っていた。それは素晴らしいことだが、それを他人に無条件で押し付けてはならない。夢月ロアがすべきだったのは、金魚坂めいろの表現の論理について関心を持ち、それを態度で示すことであった。


(C)まとめ

□運営との伝言ゲームにおいて、間違いや違和感があったら、すぐに訂正をする。

□自分が客観的にみてどういう立場であったのか自覚する。特に相手との客観的な上下関係について。

□交渉をしたかったら、(1)自分もリスクを負う姿勢(変わる覚悟)をみせる、(2)NGワードを使用しない、(3)感情をみせない、少なくともこの3つの条件を守る。

□相手の表現したいことや、抱いている感情について考え、思いやりを表現する。

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