★「没入感をずらす」:VTuberとVRゲームの親和性について

 

▼「VTuberVRの親和性について」というテーマでの議論があったようなので、雑駁ながらコメントを試みる。

(前編)
https://note.com/oktamajun/n/n1ec8aa72a264

(後編)
https://note.com/oktamajun/n/nf949ecc447aa


▼この書き物が「商業的に役に立つ」かどうかは正直よくわからない。むしろ、筆者の考え方は芸術(アート/アルス)としてのVTuberに近付いていっているので、ふつうの市場からすれば無用の長物と見なされる可能性は非常に高い。


▼さて、前編で述べられている、没入感・実在感・臨場感という3要素(+当事者感、VTuber側の言い換え表現)は、演劇(や文学)における「不信の宙吊り」(コールリッジ)の延長として捉えられる。

https://artscape.jp/artword/index.php/%E4%B8%8D%E4%BF%A1%E3%81%AE%E5%AE%99%E3%81%A5%E3%82%8A

コールリッジの時代でさえ(というか、今よりも想像力が必要な時代だったからこそ)、VTuber界隈で言う「中の人を詮索するのは野暮だ」に近い考え方があった。


▼個人的にはやはり(当ブログで繰り返し指摘しているように)、その不信が成立しているところ(宙吊りではなく完全な不信)にVTuberの面白味があるのであって、そういう意味では(正しい)VRゲームの目指す方向とは逆方向であると言える。
つまりVTuberとは伝統的な(古典的な)演劇ではなく、メタ演劇なのである。そこでは没入感を壊すというよりも、没入感という感じ方を受け入れたうえで、その漢学をどのように「ずらす」か、に焦点が置かれている。

(*VTuberとゲームの関係は、お笑いの「モノボケ」にかなり近いと思うが、まだ理論的に断言できる自信がない。)


VTuberというメタ演劇の構造を積極的に活用しているVTuberとして、月ノ美兎がいる(拙文参照)。
https://ans-combe.hatenablog.com/entry/2020/10/16/031645


VTuberという演劇に内在する2つの思想の対立を描くのが月ノ美兎だとすれば、そもそも演劇ではない場所に飛ぼうとするのが神楽めあである(拙文参照)。
https://ans-combe.hatenablog.com/entry/2020/08/01/164219


▼さて、VTuberにとって、ゲームとは演劇における小道具に過ぎない。キャラクターを重視するVTuberも、パーソナルな要素を重視するVTuberも、その点においては変わりがない。VRゲームにおいても、状況は同様である。
こうした前提のもと、VTuberの観客は、ライバーが「どのようなゲームを選択するか」「ゲームをどのようにプレイするか」といった観点でゲーム配信を見ている。観客は、こうした「データ」を収集し、これらを「根拠」として、ライバーに関する関係性や物語を「VTuberと共に」作っていく。
たとえば、最近の流行りの『天穂のサクナヒメ』では、ライバーがどのような田植えをするか、という点が注目されている(そこだけをまとめた切り抜きもある)。ここではごく素朴に言って、几帳面/大雑把という性格の分類ができる。観客は、ライバーがゲームの中で、どのような選択をするか、という点に注目している。


▼個人的に最近のゲーム選びで感動したのは、周央サンゴ(にじさんじ)の『トマトアドベンチャー』実況である。これは筆者の思い出のゲームであるから(選ばれるだけで嬉しい)だが、それだけでなく、周央サンゴは(もちろんすべてではないが)台詞を演劇的に読んでいく、という丁寧なやり方をしているのも好印象だった。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPn_ydpuhps7mWL6IupNnkotvSEidvWTw

(**ちなみに、最近ちょっとバズった周央サンゴの配信は『アイドルマスター シャイニーカラーズ』をプレイしながら、変態的に細かく知性に富んだ?コメントを繰り返す配信である。これだけ細かくコメントしてくれるのは、作者冥利に尽きるというものだろう。是非。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPn_ydpuhps590p0wPujWzeSSFgnN9ebZ


▼ゲーム選びが個性的なのは、月ノ美兎、戌神ころね、黛灰といったライバーが思い浮かぶ。1~2年前は、たとえば叶(にじさんじ)が時折変なゲームをプレイしていたりということもあったが、最近ではずいぶんゲームが画一化されてしまったように思える。それは、マイナーなゲームだとどうしても再生数が伸び悩んだり、という事情も考えられる。たとえば、叶のアーカイブの再生数を見ると、APEX配信のときが特に多いことがわかる。(とはいえ、叶自体はやりたいゲームをやるスタンスなので、再生数はそれほど気にしていないとは思うが。)
こうしたメンバーに選ばれるゲームは、チープだったり古かったりするが、独特のおもしろさがあるゲームだろう。少し理想的な言い方をすれば、VTuberがゲームをすることによってはじめて、そのゲームのおもしろさが伝わるのである。あるいは現実的な言い方をすれば、そのゲーム単体は一人でやっても面白くはないが、「VTuberと一緒にやる」から面白いのである。


▼リスナーから見て、たまたま、そのゲームが面白そうに感じたり、そのライバーの配信に参加したいと思ったりして、ゲームを手にすることはあり得る。しかし、それは本質的な見方ではない。リスナーにとって本質的なのは、このVTuberがどのようにゲームを使って演じるか、である。

(***ここで、上記の議論がVTuber以外にも当てはまる、ということを認めておこう。顔出し配信者やYouTuberにも、同様のことが当てはまる。ただし、VTuberにおいて機能するルールは、普通の配信者と大きく異なるため、単純な同一視には注意が必要である。たとえば、先に述べた「不信の宙吊り」など。)


▼ゲーム実況が、ドキュメンタリー映像のように、本物らしく見えることは重要である(という考え方もある)。
しかしその一方、たとえばこの前のホロライブ3期生による『スマッシュブラザーズ』配信のように、ほぼ作り物のコント(アドリブだが)に見えるものでさえ、文脈を知っていれば面白いというものになっている。

https://youtu.be/CnZ3pbdIAPI

この配信は、『ヱヴァンゲリヲン』のパロディネタ(潤羽るしあの叫び声が初号機に似ているというもの)がホロライブ界隈で話題になっていた、という文脈がなければ、さほど面白くはない(筆者の感想です)。しかし、特に何かを記念した枠でもないのにもかかわらず、同時接続者数が10万人を越える配信となってしまった。

(****いままでは、外国語圏(特に英語圏)のリスナーはうまく日本語圏のVTuber(のニュアンス)にタッチできなかっただけでなく、そもそもリスナーの母数が少なかった。しかし、母数が格段に増え、るしあの咆哮は言葉が分からずとも面白いため(?)、上記の配信は賑わいを見せた。)


▼ネタ的に見れば、撮れ高がある(配信の見せ所になる)のは、「バグ」や「上手く行かない」部分であったりする。
たとえば、はかせふゆきが先日『Papers, Please』配信において起こしたバグは、早速切り抜かれている。

https://youtu.be/eKUGonpEuIY
*4:13:30~4:17:30あたり。

花畑チャイカ・椎名唯華・夜見れなによる、VRホラー配信は、そのゲームの内容よりも、彼らのリアクションが注目されているように思える。たとえば、VR酔いのためグッタリしたチャイカと椎名、トイレへダッシュするチャイカ、終始ぴんぴんして楽しそうな夜見など。

https://youtu.be/_ELdk7kwiL0


▼まとめ

*基本構図として、配信者全般は、ゲームを演劇の小道具として用いる。リスナーは、配信者がどのようなゲームを選ぶか、ゲーム内でどのような選択をするかに注目している。

*そうした演劇のなかで、ゲームのおもしろさが再発見される。あるいは、リスナーは、VTuberとともにゲームをするから、ゲームがおもしろいと思える。

*上記のようなリアリティ・本物らしさに対して、作り物のコント・バグとの遭遇・ゲームが上手くいかないこと、といった、リアリティ・本物らしさを壊す(ずらす)要素も、ゲーム配信の醍醐味である。


以上のまとめを踏まえると「VTuberVR(ゲーム)の親和性」は、VTuberやリスナーが自ら発見するものである。そのため、上手く親和性を発揮できるVTuberもいれば、そうでないVTuberもいる(という、当たり前のつまらん結論になる)。筆者が強く主張したいのは、「親和性がない」とする言い方は思考(発見可能性)の放棄である(ので悪い)、ということである。
筆者個人としては、没入感・実在感・臨場感・当事者感といった要素に固執する必要はないように思える。むしろ、没入できなさ・実在感のなさ・臨場感のなさ・他人事であること、といった反対の要素に注目していくべきかと思う。

荒川修作の「養老天命反転地」は、人間のもつ「アフォーダンス」を逆手にとった施設である。

https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8A%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%A4%A9%E5%91%BD%E5%8F%8D%E8%BB%A2%E5%9C%B0%E3%80%8B%E8%8D%92%E5%B7%9D%E4%BF%AE%E4%BD%9C%E3%80%81%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%BA

VRゲームの設計も、このような発想からスタートすることで、新たな可能性に到達できるかもしれない。