★「『青色本』を掘り崩す」のメモ

(2020/04/06-07)

 

ライプニッツ原理、カント原理

 

◆統覚(永井均):諸感覚がひとつにまとめられること。
・「いたち」と「いらじ」(永井均):いろ+かたち、いろ+あじ
*諸感覚を分割して考えたさい、それらの感覚が統合した状態

 

◆私秘性
*私秘性の共存:相互に体験不可能な諸体験の共存(116)
*一般的な私秘性:一般に他人の痛みは感じられない(115-116)
*相互的な私秘性:「私は他人の痛みが感じられない」を共有している状態?(117)

 

独我論
*独我論的事実:「人間のうちの一つがなぜか私であり、すべてはじつはその私の体験としてしか存在しない、という事実」(117)
*他人の痛みそのものが、端的に言って存在しない
*独我論言語、独我論的世界観
「他人が独我論的世界観を持つことは独我論に反する」(136頁)
「どんな内容であれ、他者の側から同じことが言えるという共通の地平の成立一般を拒否しなければならない」(137頁)

 

◆「とって」性
「各人にとって各人が私であるという発想に相対化してしまう」(171)
*「とっては」論法(289)

 

・「人称」という文法装置(122・257)
①私が唯一の現実の私である
②他人も①を主張する権利がある
⇒①②により、『可能的に「現実の私である」という事態』が生じる。この可能化により、「人称」が生じる。
*「人称」「様相」「時制」と同様に「意味」などを考えることも可能。

 

・言語規約を変更することで解消可能な問題:観念論、不可能:独我論

 

・「私」の本質規定(149):「識別基準」⇒たくさんのほかの人間のなかから、「私」が選ばれるための基準。
*「私にだけあってそれが私を私たらしめている余剰」(言語における余りもの)⇒公共言語で名前を与えることはできない(153)

 

・複数の「私」が共存可能な世界(122)

 

・世界の持続基準、記憶の持続基準(149)

 

◆事象内容(的):カントの「レアール」や「レアリテート」の訳語。Ex.現実の赤と願望の赤は、事象内容(レアリテート)としては同一だが、後者は現実性(アクチュアリティ/ヴィルクリッヒカイト)を欠く。⇒(神の)存在論的証明
*「私と今はレアールな存在者ではないので、「何であるか」という本質規定は究極的にはできない」(199頁)

 

・「偶丸奇森」の思考実験(183-頁)

 

マクタガート
A系列、B系列

 

◆「私」の主体としての用法(250)
「そもそも「他」が存在しない」
「森羅万象という意味での「世界」が他からの識別(それの同定)を必要としない」
「私が痛いということはすなわち世界が痛いことであり、私が悲しいことは世界が悲しいこと」

 

・同定:「他の候補から識別してそれはこうだと特定すること」(284)
*「同定に基づかない」:そもそも他の候補が存在しないため、同定すらないということ。(284)
同定に基づかない自己知(258)
同定に基づかない自己知の表出説(259)

 

◆言語
「語られたことと(それを聞いて)理解されたことの同一性を最も本質的な理念的前提とする制度」(220)
「原初の道徳である」「原初の道徳的行為」(291)「最も根源的な悪事(292)」
*言語には「対比項のある共通地平を超えた伝達の力」、「形而上学的に対比項を超越する力」が備わっている。(303)